塩いかとは
塩いかとは、ボイル加工したスルメイカの塩蔵品である。茹でて皮を剥き、塩漬けにしたイカの胴体部(外套部)に粗塩を詰め込み、ゲソ(同様に処理した頭腕部)を挿し込んだものであり、“塩丸いか”(写真7左側)とも呼ばれている。塩いかは、塩ぶり(飛騨ぶり)と同様に荷担ぎ商人によって伝播したとされる伝統食であるが、塩ぶりが正月の縁起物「年取り魚」であったのに対し、塩いかは貴重品であった塩の補給源であったらしく、主に夏場の食べ物とされている。
(本文末尾のコラム「いかは塩のおまけだった?!」もご参照ください)
主な生産地
福井県、長野県(松本市)、岐阜県(高山市)
生産・消費の動向
伝統的には北陸で水揚げ・加工されていたが、現在ではかつての消費地にあたる内陸の高山市、松本市でも生産されている。昭和40年代までは鉱山等で働く肉体労働者に嗜好されたが、生鮮魚の入手が容易な現代では若い世代への訴求力に欠け、また、食生活における減塩の啓蒙普及もあり、消費は低下の一途を辿っている。加えて近年では、国産スルメイカの漁獲減に伴う原料仕入れ価格の高騰が消費低迷に拍車をかけており、ここ10年で生産は激減した。国産原料(日本海産)のみを用いるメーカー(高山市)では、多い年で年間3,000パック(3,000尾)程度の生産に止まっている。
原料選択のポイント
原料は国産に限らず、外国産が用いられる場合もあるが、日本海(大和堆)で漁獲されるスルメイカで肉厚なものが好適とされる。また、ミソ(肝臓)は塩辛の製造に用いるため、鮮度も要求される。尾数単位での販売となるため大きさを揃える必要もあり、1尾400~500g程度のものが標準的である。
使用する副原料
塩は一般的に粗塩(天日粉砕塩)が用いられる。
加工技術
茹でることで自己消化酵素を失活させ、タンパク質の変性・凝固による食感(弾力の付与、歯切れの良さ)の向上を図っている。さらに塩漬けによる脱水で水分活性を低下させ、保存性を付与している。他方、塩分の補給源としての役割を担った歴史背景もあるためか、塩への色移りや料理にアクが浮かないよう丹念な剥皮作業が行われる。
製造工程の概略

加工の実際
国産原料(日本海産)を用いたメーカーの製造例を示す。
- 原料 国産スルメイカ(富山県内の漁港に水揚げされた生鮮品)で肉厚なものを選ぶ。製造期である夏期まで冷凍倉庫で保管する。
- 解凍 1回の製造に用いる原料は最低30㎏(約70尾)である。シンクもしくはプラスチック樽で流水解凍する。
- 原料処理 胴体から頭腕部を引き抜き、内臓を切除する。ミソ(肝臓)は塩辛に用いるため取り分けられ、粗塩を塗して塩漬けにする。
- 洗浄 水道水で洗いながら頭腕部の袴(水管など)、胴体部(外套部)の骨などを取り除く(写真1)。
- ボイル 鍋に40ℓの水を沸かし、原料を2回に分けて処理する(約35尾ずつ)。原料投入後、弱火で12分間茹でる(途中で1回かき混ぜる)(写真2)。
写真①.jpg)
写真②.jpg)
- 剥皮・水洗 茹で上がったイカを水を張ったシンクに移し、水をかけ流しながら軍手で撫ぜる様にして剥皮し、一旦水に晒す。この時、足も一本ずつ洗う(写真3)。
- 塩漬け 水切りしたイカをプラスチック樽に移し、粗塩(約35尾分に対して1㎏)を塗して混ぜ合わせる。冷蔵庫(5℃)で1~2日間置くと水が上がる(写真4)。
写真③.jpg)
写真④.jpg)
- 塩詰め 胴体(外套部)に粗塩を詰め込み、ゲソ(頭腕部)を挿し込む(写真5)。出荷分のみ作業を行い、残り(未出荷分)はポリ袋に小分けにして脱気包装し、冷凍保管する。
- 包装 1尾を発泡トレー(25cm×10cm)に載せ、ラップで包む。また、2尾をポリ袋にピロー包装した製品や塩抜きして輪切りにした製品もある(写真6)。
- 製品 賞味期限はメーカーにより若干異なるが、冷蔵で20~30日程度とされ、スーパーの塩蔵品売り場に陳列される。
写真⑤.jpg)
写真⑥.jpg)
加工に用いる機器等
煮釜、冷蔵・冷凍設備
品質管理のポイント
鮮度の良い原料を用いたものほど流通過程での褐変が少ないとされている。
製品の形態と保管方法
1尾入りの発泡トレー包装、もしくは2尾入りのピロー包装が一般的である。出荷は、それらを発泡スチロール箱に梱包し、冷蔵で配送される。賞味期限は冷蔵で20~30日程度とされる。
調理方法および食べ方
調理に用いる場合、必ずしも塩抜きは必要とせず、洗って好みの大きさに切り、キュウリと揉んでアク汁を搾って酒粕和え、酢の物、マリネなどとして食べる(写真7)。また、いりこ出汁に酸菜(すな:赤かぶの無塩発酵漬物)などと加えてひと煮立ちさせ、蕎麦や素麺などのかけ汁としても食べられる(写真8)。そのまま食べる場合は、塩抜きして一味マヨネーズなどをつけて食べる。なお、胴体部に詰められた塩も利用することができる。
写真⑦とイメージ.jpg)
写真⑧.jpg)
の冷しかけそば(撮影 加島隆洋)
コラム
「いかは塩のおまけだった?!」
塩いかは、塩ぶり(飛騨ぶり)と同様に歩荷と称される荷担ぎ商人によって伝播したとされる伝統食であり、主な食文化圏は富山から飛騨高山へ通じる飛騨街道筋(神岡,古川,高山)と、高山から野麦峠などを経た信州中南部(松本,伊那,飯田)である。
胡桃沢勘司氏(近畿大学教授、日本交通史)によれば、松本藩には「北塩(日本海側から運ばれる塩)専売制」があり、南塩(太平洋側から運ばれる塩)の流入を禁じ、日本海側の塩を越後ルート(糸魚川~松本の千国街道)でのみ移入する決まりがあり、片や飛騨ルート(高山~松本の野麦街道)は塩のほか穀物の輸送も禁じられ、魚だけが運ばれた、とのことである。つまり、野麦街道に面した山間地域では、地理的ハンディキャップに法的規制も加わり、塩の入手が困難であった。そこで脱法とも思える塩の入手手段として塩いかの存在があったのではないだろうか。そう考えると「昔は塩のおまけだった」とすることも、塩ぶりと異なり公式な記録が残らなかったことも、剥皮工程(塩を汚さないため)があることも、納得できるのである。
他方、水産加工品ではないが、酸菜のような無塩発酵漬物がこの地域で食べ継がれたことも同様に納得できる。
参考文献
・胡桃沢勘司.ブリの街道.水の文化2018; 29:30-31.
(著者:岐阜県食品科学研究所 加島 隆洋)
