豊橋ちくわとは
調味すり身を串に巻きつけ、炙り焼きしたものは「焼きちくわ」と呼ばれ、全国で生産されている。これらの中で豊橋ちくわは、小形で中央に焼き色が入り、両端には焼き色がつかないことを特徴としており、主に生食用として製造されている。
(本文末尾のコラム「豊橋ちくわの歴史」もご参照ください)
主な生産地
豊橋市を中心とした愛知県
生産の動向
昭和35年頃に開発された冷凍すり身の技術の向上と流通網の発達により、昭和50年には全国の焼きちくわの生産量は25万トンを超えていた。以後、生産量は年々減少し、平成に入る頃から20万トンを切るようになり、令和に入ってからは6万トン前後で推移している(日本かまぼこ協会)。代表的な豊橋ちくわメーカーであるヤマサちくわ株式会社では1日約20万本が製造され、年間売上高は40億円(2024年3月期)。他に株式会社かね貞なども製造している。
原料選択のポイント
豊橋ちくわは、古くは三河湾で獲れるタチウオを主な原料として、これにエソ、ハモ等を加えて製造されていた。現在はスケトウダラ冷凍すり身を主原料として、イトヨリ冷凍すり身やエソなどの生鮮魚肉を加えて製造されている。高級品では、エソやキグチ、ハモなどの割合が高い。これらの魚を使用することでよい食感の製品となる。副原料として卵白、砂糖、食塩、みりん、でん粉、大豆油、発酵調味料などが味の調整に用いられる。
加工技術
魚肉(すり身)に食塩を添加してすりつぶし、粘稠な肉糊とし、これを串に巻きつけて焙焼することで、液汁の分離のない弾力のある「焼きちくわ」となる。焼きちくわは練り物の原型であり、もともとこれがかまぼこと呼ばれていた。この後板に載せたかまぼこが登場し、ちくわかまぼこからさらにちくわと名称が変化した。
製造工程の概略

加工の実際
- 原料 スケトウダラなどの冷凍すり身やキグチ、エソ、ハモ、タチウオなどの魚を使用する。冷凍すり身は自然解凍もしくは機械を用いて解凍する。
- 魚体処理 手作業、もしくは魚体調理機で頭と内臓を取り除いた後、魚洗機で、魚体表面の粘液、鱗、内臓破片などを除去する。
- 採肉 魚肉採取機で魚肉と皮、骨を分離する。採取した魚肉を落とし身ともいう。
- 水晒し 魚肉は魚臭が強いので、水でよく洗う。血液や脂肪分、血合肉などを除去する。
- 脱水 過剰の水分をスクリュープレスなどで除去する。
- 裏ごし 脱水された魚肉の結合組織や小骨を除去する。
- 冷凍すり身の解凍 自然解凍もしくは機械を用いて解凍する。
- 擂潰 魚肉をすり潰して筋線維をほぐし(空ずり)、食塩の作用で塩溶性タンパク質を溶出させた後(塩ずり)、調味料等の副原料を混合し(本ずり)、すりあげる。 (写真1)。
- 成形(串巻) すり身をステンレスの串に巻きつける(写真2)。


- 焙焼 加熱することで、足(弾力)を形成させるとともに、殺菌する。回転させながら火床上を移動させて焼き上げ、最後にちくわ中央部に火力を絞った火床上を通過させ、中央部に焼色をつける。(写真3)
- 串抜き 焼き上がったちくわを固定器に挟み、焼き串の片端にあるくびれに引き抜き装置の爪をかけ、ちくわから焼串を引き抜く。ちくわはコンベヤーにより冷却工程に送られる。抜き取られた焼き串は、自動ちくわ製造機の上部をチェーンにより成形機に返送する。返送の途中、焼き串に付着したカスをかき取る。カス取り後、次に焙焼するちくわの串が抜けやすくなるように、植物油を含ませた布ベルトにより、焼き串に植物油を塗布する。
- 冷却 包装後結露が生じないように、また衛生管理のためなるべく早く冷却する。
- 包装 数本ずつ自動包装する。一部は真空包装も行われる。
- 殺菌 真空包装の場合は、90℃で40分、ボイル殺菌する。
- 検査 金属探知器、X線異物検出装置を通す。


加工に用いる機器等
魚肉採取機、擂潰機、自動ちくわ製造機(成形、焙焼、串抜き)
品質管理のポイント
足(弾力)が十分に形成されるために、擂潰中の魚肉の温度は10℃以下が望ましい。生食もされるため衛生管理が重要であり、焙焼時以外はできるだけ低温とし、冷蔵で流通される。
製品の形態・包装および保管方法
数本ずつ包装される。4本、5本、6本包装がある。大型のもの、もしくは高級品は1本もしくは2本ずつ包装される。包装は含気または真空包装が行われ、含気包装のものは賞味期限が比較的短い。
調理方法および食べ方
主に生食であるが、おでん、煮物、炒め物、和え物、揚げ物などにも利用され、用途は広い。
コラム
「豊橋ちくわの歴史」
豊橋ちくわは、16世紀、今川義元公隆盛の頃、熊野権現神社(現在の豊橋市魚町)境内で魚の売買が行われたことに発達の基があった。この地で魚問屋を営んでいた佐藤善作(現在のヤマサちくわ株式会社の先祖)が、1837年(天保8年)、魚問屋の仲間とともに四国の金毘羅参りに出かけたときに、名物として売られていたねり製品を見つけた。味もよく、使用している材料は吉田(現在の豊橋市)近くでも獲れるものであったことから、買って帰り、研究を続け、現在のちくわの原型を作り上げたと伝えられている。塩をふりかけ、箱詰めとした保存の効く塩漬けちくわが開発され、魚類の乏しい信州で好評を博し、吉田ちくわの名が知られるようになった。そのため、明治時代にはちくわ専門業者も増え、一日の生産量は4万本にのぼった。昭和の初期になると豊橋ちくわは、小形で、小口を残して焼色をつけた現在の形状となり、エソやハモなどの味を生かした風味と、砂糖を加えた甘味を特徴とし、生で食べられるちくわとして普及していった。
(著者:あいち産業科学技術総合センター:伊藤 雅子・丹羽 昭夫)
